反論するわけじゃないけど、ある記事を読んで、ちょっと変だなぁと思いました。
記事自体は、茂木健一郎氏の本を読んで書かれてあって、記事の文章や絵は、とても素晴らしいです。
「茂木健一郎氏の考え方が、変だと思った」わけで、記事に対して言及する必要はないと思うので、言及はしません。
Aさん(記事の中の登場人物)
記事の中では、Aさんにはこうでなければならないが、存在しないように書いてあります。
でも、記事を読むと、ちゃんとAさんにもこうでなければならないと思っていることが書かれてあります。
- マスターとの会話は楽しい(マスターとの会話は楽しくなければならない)
- 料理は美味しい(料理は美味しくなければならない)
この二点が、Aさんの満足感のほとんどを占めているように感じました。
Bさんが招待した店でも、Aさんがこうでなければならないが無くて、幸せを感じたのなら、話はわかります。
しかし、Aさんが気にいった店に、Bさんを招待したのだから、Aさんは幸せに感じて当然です。*1
私がAさんの立場なら、Bさんが幸せになる条件を聞いて、Bさんの幸せの条件が揃うお店に、連れていったでしょう。
どんな状況でも、こうでなければならないが無ければ、本当に幸せになれるのでしょうか?*2
価値観の違い
Aさんにとって、Bさんが望んでいた銘柄がなくても、どうでもいいことだったのかもしれません。
Bさんにとって、マスターとの会話は楽しくなくても、どうでもいいことだったのかもしれません。
Aさんが、本当にこうでなければならないと思っていないのなら、マスターとの会話が楽しくなくても、料理は美味しくなくてもいいはずです。
AさんがBさんを招待したのは、Aさんにとってこうでなければならないの条件が揃ったお店だったからだと思いました。
幸せの条件の数
主張したかったことを例えるため、Aさんにはこうでなければならないが無い人だと設定する必要があったのかもしれません。
正確には、人間だから幸せの条件は、みんな当然あるけど、AさんはBさんと比べて、おそらく少なかったということなのでしょう。
私の考えのまとめ
こうでなければならないと思いすぎることは、確かに自分自身を追い詰めてしまい、不幸にするかもしれない。
しかし、こうでなければならないから開放されたとしても、必ずしも自分自身を幸せにしてくれるとは限らない。
こだわりを捨てると、向上心も捨てることに、なるような気がします。
思い込まずに、あくまでも視点を変えるとか、別の方法を考える手段として、こうでなければならないから、開放されると良いなぁと思いました。
こうでなければならないが、ある、無い、じゃなくて、押し通す、諦める、の方が正しいような気がします。
私の感想
お店側の立場で考えてみる
Aさんのような客ばかりだと、お客様のために頑張ったとしても、お店側の苦労が報われない気が、しました。
客側の立場で考えてみる
水で薄めて出したお酒でも満足してくれるのなら、お客様が困ることになりますよね。
最近の話題から考えてみる
最近、同じラーメン屋に何回か訪ねてきた客で、訪ねる度にほとんど食べ残してメモを残して帰った客の話がありました。
お客様は幸せだったとしても、お店としては迷惑ですからね。
こうでなければならないが無かった客かどうか、判断は難しいけど、ラーメンの味よりもメモを残すことで満足感を得ていたのなら、Aさんのように幸せの条件は少なかったと思います。
幸せの条件が無い、或いは少ないからと言って、ご本人や、周りの人が、幸せになれるとは思えない。